テキストと日記ごちゃまぜ 2004-2005

 以下のテキストは2004年の年末から2005年の年始にかけて
書き殴られたものであります。

----ココカラ----

 衰弱しつつあるものは文化と呼ばれやすい。即死はムーブメント。
 立ち上がりかけの文学に首輪をかける論者。

 グーグルで「高いけど」と「が欲しい」で検索すると、
世の中の色々な人が、色々なものを欲しがっていることがわかる。
 社会は必死に消費させようとして、まんまと僕らはその手の平の上でお金を
使うわけだけど、上記のような検索をかけることで、俯瞰的にその構図を
眺めることができる。だからと言って、誰もそれを止めることはできない。

 あのね。
 あの、中学生でも、高校生でもいいんだけど、もちろんそれ以上の年代、
それより下の年代でも構わないのだけれど、自分が自分でいることに対して、
泣きそうなぐらいに必死だった時の気持ちを思い出してください。

 
 僕は今、その中にいる。


 自分が自分であるために消費すること。磨耗するのは○○。



 本屋さんで適当な女の子に声をかけた。
「あの、僕は小説家なんですけど、僕と寝ませんか?」
 彼女は少し戸惑ったような顔をしたけれど、きちんと返事をしてくれた。
「どんな本を書いているの?」
「ライトノベルです」
「知らないわ」
 まぁ、そんなところだろう。結局彼女は僕と寝てくれることになった。
「だけど条件があるの。私のために物語を作って」
「もちろん」
 彼女の条件はこのようなものだった。
・大きな犬が出てくること。
・季節は夏。
・偶然の出会いから始まること。
・どこかの田舎町。
・雨が降る。
・最後はハッピーエンド。
 僕と彼女はホテルに行って、セックスをした。シャワーを浴びた後に、
ベッドの中で僕は言う。
「ある夏の日、大きな犬が偶然、猫に出会いました。雨が降ってます。めでたしめでたし」
 彼女は枕元に置いてある電話で、僕を殴り飛ばした。
「田舎町が入ってないじゃない」
 その通りだった。


 どういうことがバカバカしくて、どういうことに意味があるのか、
ある程度はわかる。さらに言えば、バカバカしくても許してしまう気持ちもわかる。
 ジレンマとも言うし、もどかしいとも言える。

 欲しがらない、というのは憧れる生き方であります。

 自分の気持ちのあり方について何度も考えている。ある人は言う、「A」でいこう。
 もう一人が囁く、「B」が効果的だ。僕はその二つともピンとこないし、
ましてや「C」でも「D」でもないと思っている。きっと僕が目指しているのは
「Z」なんだけど、「E」「F」「G」っていくよりも「A」から一個戻って「Z」に
行く方が簡単そうだなと感じている。
 でも「A」の一個後ろは、底のない闇なんだ。「今」からは戻れない、カラテカ
みたいみたいに落ちるだけ。
 だから僕は「H」「I」「J」と進んでいく。
 ようやく「Z」まできたと思ったら、今度は「a」が待っていた。やれやれ。

 川で溺れている。流れはとても速くて、岸にに戻れそうにない。
 誰かが手をさしのばす。それは○○だった。あぁ、と僕は思う。
 やはりそこに行くしかないのか。バカみたいに広くて、とても乾いた場所だって言うのに。


 僕は今、十代の頃のように苦しんでいるよ。
 明日世界が滅びてしまっても、構わない。


 友達が死んだり、雪が降ったり、夜に眠ったり、
色々なことがありました。でもそれについて語る気はない。
 過去の話じゃなくて、未来の話をしようじゃないか。
 みんな、想像してるかい。頭を働かせているかい。確かに
霞フィギュアは大変エロいけれど、自分で思考して予約ボタンを
押しているかい。きみに必要なものはなんだい。ちゃんと考えているかい。
 僕らは思考しなくてはならない。未来を創造しなくてはならない。
クリエイティブっていうのは、星の数ほどの屍の上で成り立つもの
なのだろう。ああ、恐ろしい。
 僕はもう二十七歳になって、サザエさんのアナゴさんより年上って
ことを知って驚いたりしてるわけだけども、自分がアナゴさんより
年上になるなんて思わなかったし、そもそも二十七歳なんて遥か彼方で
陽炎みたいに揺れている、フィクションだと思っていた。
 でも、全然ノンフィクション。よゆーでリアル。びっくりするわ。

 僕の2005年は今日から始まる。だから頑張る。「鬱病患者に『頑張れ』は禁句」
っていうキャッチフレーズで始まったクリアラバーソウルだけど(嘘だよ?)、
頑張る時がついにやってきたよ。汗をかいて頑張るんだ。
 今、必要なのは、心と体のありかただ。

 あかりのもとでありかたのありかをさがせ。

 読んだ本、観た映画、聴いた曲、飲んだ薬、それらを羅列することで
自分を形作るのはそろそろおしまいにしよう。僕らは思考する。発言する。
 均一に検索のかけられるような存在じゃないのに、データベースと
一体になることで繋がりを感じるのはちょっと変じゃないかな。
 はっきり言って、僕は思うよ。あらゆるものが飲み込まれつつある、って。
 そこから抜け出すための冒険。物語。それらをこれから僕は作って行きたい。


 彼女は僕にこう言った。
「毎日嫌な夢を見るの。サーチエンジンが私の身体をくまなく調べてる夢。表から
裏まで、それこそあらゆるところをね。小さい虫みたいな検索ロボットが、脇や鼻の穴や
下着の中まで入ってくるの。だけど私はどうすることもできないのよ」
  僕は蟻が顔を這うように、ロボットが数本の細い、針金みたいな脚を使って
移動するところを想像した。
「私から採取したデータは、高層ビルぐらいある大きなコンピューターに蓄積されるの」
「それからどうなるの?」
 彼女は深い溜め息をついてから呟く。
「コンピューターは、データを一度だけ見て、ニヤって笑うの。それで終わりよ」
「それぐらい、なんてことないんじゃない?」
「なんてことない?」
 僕は余計なことを言ってしまったようだ。
「それだけのためにロボットが体中を動き回るのよ? まるで犯されてるみたい」
「でも君だってサーチエンジンを使うだろう? だったら仕方ないんじゃないかな」
 テーブルの上にあったタバコをカバンに突っ込むと、彼女は立ち上がった。
「私には図書館があるもの」





パロディTシャツなのに著作権主張、クリエーター気取りのこんぺーでーす。



 恋愛をするのが怖い。別れるのが恐ろしい。
 始まらなければ終わりはやってこない。だからといって一人ではいられない。
 僕は永遠の愛を望んでいる。ながあってもずっと一緒にいる、大好きな恋人。
 そういったものは奇跡でしかない。
 だけど僕は、奇跡を起こせるとずっと信じていた。
 笑っちゃうよね、まったく。


 なぜか僕の周りには自殺願望のある人が多くいて、その中の数人は実際に
死んでしまったのだけれど、こういうのって普通なのだろうか。
 あなたの周りにも、実際に自分の体を傷つけたり、死んでしまったりする人たちは
いるのですか。それは「あたしA型」「あたしおひつじ座」「あたし自殺願望」っていう
ぐらいに当たり前のことなのですか。そりゃ死にたいって思う人はいるだろうけど、
実際に病院に運ばれてしまうような人たちの話。
 死にたいって言って、実際に死のうとしてる人は、必ずこう話す。
「だからって、あなたにどうにかして欲しいわけじゃないの。これは私自身の問題なの」
 わかってるさ。僕だって、他人をどうにかできるなんて思ってないんだから。
 誰だって大変な中で生きてる。でもそれは慰めにも支えにもならない。
 僕は、救いたかった。自分になにかできるなら、どうにかしたいと思っていた。
 だけど、どうにもならないと知った。そんなに昔のことじゃない。数年前の話。
 だから僕は、自分にとって一番大切な人だけを優先するようにした。愛する人の
ために命をささげようと。彼女が脳の病気かもしれないと聞いた時、自分の体を
使って助かるなら、それでも構わないと思った。(実際はなんでもなかったみたいだけど)。
 でもーでもでもー。僕は大好きな彼女を傷つけてしまったり、悲しませてしまったりして、
もう付き合えないと言われてしまった。
 その時に、死んでしまおうとは思わなかったけれど、自殺にはあらゆる理由や意味が
あって、一概にどうのこうの言えるものではないのだなと思った。

 手首を切るのは死ぬこととは直接関係はないそうだ。だからなんだって言うんだ。


 自分の血液を垂らして、それによって作られる波紋に、誰かが気付くことを、
待っている、の、だ、ろう。


はっきり言わせてもらうけれど、十代の若者がテレビに
出てきて討論するような番組(例のあれ)が好きではない。
というのも、見ている人々にあれが若者の意見の代表だと思われては
たまらないからだ(そんな素直な人は滅多にいないだろうけど)。
一見すると、色々なタイプの若者を集めてきているように見える
けど、実際は「テレビに出て発言ができる」「声が大きな」タイプの若者しかいない。
端的に言ってしまえば、偏りすぎている。
ああいった声の大きな人たち(声量がある、という意味では
もちろんなく)が討論をしている間に、ベッドの上で膝を抱えて
「なに言ってんだ」「全然違う」「気持ち悪い」「うざい」と、
文句を口の中でかみ殺している人たちが山のようにいるはずだ。
僕はそういう人たちに向かってあらゆる手段を使って語りかけ続ける
ことができればと思う。なぜなら、僕は膝を抱えてテレビを憎んで
いた人間だったから。なるべく僕は、その時の気持ちのままで
生きていたいと思う。表に出て意見を言える人、お金を出して
なにかを買える人、カラオケで歌える人、そういう人たちが全て
ではない。
 ただただ沈黙を守る人、盲目の勇者、冒険出発前夜を
永久に繰り返す踊り子、僕はきみの馬車となる。


 二十歳そこそこの若い女性が、好きな漫画は、と聞かれて
「ジョジョ」と答えた時に、日本はまだ捨てたものじゃないなと思った。



アタシ センス アル? イッポ ウエ?
チグハグ ナ カグ ズラリ セイゾロイ

今聴くと泣ける。


「ポエム」

僕の嫌いな女性のタイプは、誰とでもすぐ寝るくせに、
僕とだけ寝てくれない女の子だ。

え? 本当に好きだからこそ、そういう関係になりたくないって?

死ね、バイタが。寝言は寝て言え。


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っていうポエムを書いて、これは本当にすごく傑作だなあと
思ってるし、二億円ぐらいの価値があるんじゃないかなと
考えてるんだけど、誰も相手にしてくれなさそうだから
こうしてここで発表してみた。




 誰が悲しんで、誰が辛い想いをするのかということを一回一回考えないと、
なぜそうなるのか、を、思考しないと、根本的な問題は解決しない。
 今の世の中は、根本的な部分を放っておいて、とりあえずなかったことにする。
 だから僕らは本当に大切なことを見つけられない。
 自分たちで必死に探さなければならない。
 自分で見つけてしまったら最後、それらを隠していた大人たちの言うことは
二度と信用ができない。先生も、親も、テレビも、誰も信用できなくなる。
 こうして僕らは心を閉ざす。こ閉じた心は─


心情吐露系サイトでーす。僕はバットを持って、片っ端から貝殻を叩き割って、
あなたの中身を引きずり出してさしあげましょう。


 本当は大人の人たちも、それほど大人じゃないことを僕は知ってる。
 だけどそれは、僕がある程度大人になったからわかったのであって、まだまだ
若い人たちは、そんなこと気がつくわけないよ。だって彼らは、大人は全員、
大人なんだって思ってるんだから。大人たちにも過去があったなんてこと、
頭ではわかっていても、上手く想像できないはずだ。それは若い人たちを甘く
見ているというわけじゃなくて、たぶん、永久にそういうものなのだと思う。
 もしそれを超えられたら、世の中の問題はずっと少なくなっているはずだ。
 世代間の心の溝を越えることができるなら、他者との溝だって越えられるはずだ。
 その考えでいくと、世の中にある溝は永久に埋まらないことになる。


 詩人になりたかった。


 結局、ネットは匿名性が問題なのではなくて、集団の狂気のようなものが
問題なのだと思う。巻き込まれたらどうすることもできない、というほどの
圧倒的な数での悪意には言葉を失う。ひとつひとつの質も問題だけれど、
なにしろ、数が最後に物を言う。
 もしインターネットに免許が必要になって、試験を合格しなければ
ネットにつながらないということになったら、どれだけ平和な世界になるか。
 違反したら罰金。わざわざお金を払うリスクを背負って、人の悪口を
言う人がいるだろうか。もちろん、そういった平和な世界は、
とてもつまらなくなるに決まっているのだけれど。


 ネットに言論の自由なんてありゃしませんよ。あるのはポルノ動画と、
悪意ですよ。そういう時代になってしまったんです。世の中、治安が悪く
なったでしょう? そういうのと似たようなものなんじゃないですかね。
 いや、違うかな。違うね。もっとここは酷い世界だ。
 ま、だからこそ私みたいなもんは楽しいんですがね。
 それじゃお客さん、なににしますか?


 ターバンみたいな変な帽子をかぶっていたのに、誰も触れてくれなかった。


 僕の愛する恋人が、ゆっくりと僕から離れていく。
 とても悲しい。とても、悲しい。僕が純粋な少女だったら自殺するんだろうけど、
もうそんな年代は通り過ぎてしまった。刃物を手首に当てて、泣いても仕方ない。
「どうせやるんなら確実な方法でね」
 と人は言う。でも死んでもしゃーない。じゃあ、生きていたら、しゃーあるのか?
 悪魔がやってきたら、魂を差し出しても構わない。毎日泣いている。
 だからといってどうにもならない。
 僕は辻加護とか、中川しょこたんとかと結婚して、恋人を見返してやりたいと思うんだ。
 しゃーないしゃーない。また心が磨り減る。
 しゃーないしゃーない。また絶望が色を濃くする。


 いつ、許されるのだろう。



年末から年始に書いたいくつかのテキストが、知り合いと同じモチーフだった。
「漁」「逆」。
もちろん細かいところは違うけれど。
とても素晴らしい文章を書く人なので、嬉かった。


みなさんお久しぶりです、桑島由一です:)
↓バナー作ったぴょん。


 愛する人とセックスがしたいYO

----ココマデ----

 あらためて読み返してみると、気味が悪い文章だ。
 まるで世界中で自分が一番不幸だ、というような文章だ。
 でもまあ仕方ない、その時は世界中で自分が一番不幸だったんだから。